拝殿正面

大宮神社の由緒

九州を巡られた景行天皇を祀る

斜めから見る拝殿

 
 大宮神社は、第十二代景行天皇(けいこうてんのう)をお祀りしています。熊本県北部の温泉地、山鹿の中心部に鎮座し、この町の氏神様・産土大神として古来より篤い信仰が寄せられています。
 ご鎮座の歴史は古く景行天皇の筑紫御巡幸に由来しています。今から約2000年前、景行天皇御一行は、山鹿にお着きになり、杉山(現社地)に行宮(あんぐう)(仮の御所)を営ませられ、付近の賊を御平定になられたといいます。
 その後、行宮の跡地に天皇をお祀りしたことが大宮神社の創建であり、大宮と称するのもこれに由来しています。
 毎年8月15・16日に執り行われる例祭「山鹿燈籠祭」では、室町時代より約600年続く「上がり燈籠」をはじめ、たいまつ行列、千人燈籠踊り、花火大会など様々な神事、行事が行われ、安寧への祈り、景行天皇御巡行の伝説、地域に伝わる伝統文化を連綿と継承しており、毎年多くのご参拝の皆様で境内は賑わいます。
 

 境内には、毎年新たに奉納された山鹿燈籠を一同に保存展示する燈籠殿をはじめ、その数が九州一の猿田彦大神石碑群、無病息災の鳥居くぐりなど多くの見所もあります。

 ※「燈籠」の表記について
 「燈籠」の表記には、「燈籠」「灯籠」「灯篭」「灯ろう」など様々な漢字が用いられます。大宮神社では、古儀を尊び本来の意味を正確にお伝えするために、古くから用いられている「燈籠」の漢字を使っています。

 

灯籠と大しめ縄

御祭神 第十二代景行天皇  合 殿 阿蘇十二神 例 祭 8月16日山鹿燈籠祭  11月15日秋季例祭

 社殿の再建
 天文6(1537)年  天災のため焼失。  永禄12(1569)年 山鹿城主山鹿彦次郎重安が再建。  明暦3(1657)年  野火のため焼失。
 万治2(1659)年   肥後3代藩主細川綱利公が再建。
 宝暦5(1755)年  大風のため倒壊。
 同6(1756)年    肥後6代藩主細川重賢公が再建。

 

社務所外観